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中山道六十九次も歩きます。

東海道五十三次を踏破した後。2017年 立春に京を旅立ち、江戸に向けて歩きます。今回の旅路は中山道。

07. 追分 - 東海道と中山道の分岐点へ

さて、瀬田の唐橋からほど近く
" 建部大社 (たけべたいしゃ) " を参拝します。
日本武尊を祀る 近江国一之宮です。

一宮 (一之宮・一ノ宮) と言うからには この地で重要な場所、是非ご挨拶しておきたいものです。
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ふと、東海道歩きの際に訪れた静岡の三嶋大社 (伊豆国一宮) のことも思い起こされます。

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厳かな気持ちになったところで、再び街道歩きを続けます。

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あっ! このパネルは… !!

東海道五十三次を東から西に歩いた際、滋賀県に足を踏み入れた頃から
顔つきが特徴的な "黒目がちの坊や" の姿を 道路の片隅で頻繁に見かけるようになりました。
"子どもの飛び出し注意" を促す看板のようです。

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何気なく渡った水路の両側には桜の木が並んでいます。

来る年も来る年も 地元の方々に春を告げ、子どもたちの通学路となる。
そのような光景を思い浮かべてみます。

桜の名所と謳われ大勢の人々が集う賑やかな場所も良いですが、人々の生活と共にある桜並木にも心惹かれるものです。

さて、そろそろ時間が差し迫ってきました。
只今の時刻は13時。
次の宿場町草津まで あと30分ほどでしょうか。

草津宿は旧道の雰囲気を残しており、できれば趣ある佇まいのお店で休憩したい。

しかし 近江牛を見送り 朝からパンとお菓子でどうにかつないできた体力は既に限界、もう今すぐ休みたい。

やむなく全国展開しているお店に立ち寄り、胃袋と足腰を生き返らせます。

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ほどなくして草津宿に到達し、重要な地点に差しかかります。
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ここは東海道中山道の分岐点。
「追分 (おいわけ)」とも言われ、旅人にとって目安となる場所でした。

立春の日に京都 三条大橋を発ってから この追分まで、「東海道歩き」の際に通ったのと同じ道を逆方向に進んできました。
当時、日が沈む前になんとかゴールの三条大橋に辿り着かなければ… という思いで
ひたすら西を目指した記憶がよみがえります。

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4ヵ月前、右側の「東海道」から歩いてきました。

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マンホールも追分仕様です。

さあ、ここからが本当の「中山道六十九次歩き」の始まりです。

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これから左側の「中山道」に進み、お江戸 日本橋を目指します。

… と、感動的名場面にひたる間もなく
さっさとトンネルをくぐり、この先の商店街を突き進みます。

時刻は14時をまわっています。
草津駅から電車が発車するのは14時20分。

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なんとか草津駅に到着。

これから電車で9時間強の帰途につきます。

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各駅停車の列車を何本乗り継いだことでしょうか。
乗り換える度に 眠りの底へと落ちます。

今回の旅は1泊2日
電車移動は片道9時間強
歩いたのは6時間
進んだのは15km

最大の利点は交通費を安く抑えられたということですが、効率はかなり悪く 肝心の街道歩き以外に体力を大幅に消耗しました。

今後の移動手段について検討しながら、列車に揺られ続けます。

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★第2日目
2017年3月5日 (日)
大津→草津
   資料上の距離 : 15.1km
   歩数計 (1日) : 19.0km / 33,985歩

06. 訪れたのは近江何景?

近江八景
比良暮雪     ひら の ぼせつ
堅田落雁     かたた の らくがん
唐崎夜雨     からさき の やう
三井晩鐘     みい の ばんしょう
矢橋帰帆     やばせ の きはん
粟津晴嵐     あわづ の せいらん
瀬田夕照     せた の せきしょう
石山秋月     いしやま の しゅうげつ

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時刻は午前9時40分。
琵琶湖畔の膳所城を後にして、再び街道を歩きます。

城下町特有の何度も直角に曲がる道は、視界を遮り敵の侵入を防ぐという防衛上の目的があったようです。
鉤の手 鍵の手 (かぎのて)・桝形 升形 (ますがた) などと呼ばれます。

しばらく進むと、学校や企業の建物の間を抜けながら 道は大きく曲がります。
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後に分かったことですが、どうやらこのあたりは近江八景の1つ「粟津晴嵐」であるとのこと。
木曽義仲が討死した "粟津ヶ原" であり、以前は松並木が続いていたそう。
歩いているときは特に意識することなく、いつの間にか近江八景を通り過ぎていたようです。
地図を見ると 付近には「粟津」と名の付く駅や学校があり、一帯の地名は「晴嵐」と記されています。

さて、京阪電車 石山駅前を通りかかり…
とても美味しそうな洋菓子屋さんの横を黙って素通りできるはずもなく、お店の中に吸い込まれ お菓子を少し購入します。

さらに進むと、「近江牛」の看板を掲げたお店が目に留まります。
興味があります。
しかし "準備中" なので やむなく店先を通り過ぎます。

(もし "営業中" であったなら、本日の中山道歩きはここで中断され 優雅なランチタイムを過ごしていたことでしょう。)

さあ、いよいよ近づいてまいりました。
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瀬田の唐橋 (せたのからはし)」
   ( 勢多の唐橋・瀬田の長橋 )

近江八景「瀬田夕照」で名高く、
「唐橋を制する者は天下を制す」
と言われた交通の要衝です。

かつて瀬田川に架かる唯一の橋であった唐橋は、古来 幾度となく戦乱の舞台となりました。

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「もののふの矢橋の船は速けれど
    急がば回れ瀬田の長橋」

( 武士のやばせの舟は速くとも
    急がば回れ瀬田の唐橋 )

これは、宗長 (室町時代連歌師) により詠まれた歌です。

当時 草津から琵琶湖の対岸 大津に向かうには、草津の矢橋 (やばせ) から船で渡ると距離が短く近道でしたが、比叡山から吹き下ろす突風により危険を伴いました。
そこで、瀬田の唐橋を通る道は 遠回りではあるけれど安全で確実とされました。

この歌は「急がば回れ」ということわざの由来となっているそう。

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先ほど仕入れたお菓子をいただき ひとやすみ。

瀬田の "夕照"
きっと夕日が素晴らしいのでしょうが、本日は先を急がねばなりません。

(つづく)

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ところで、前日 (2017年3月4日) 訪れた園城寺 (三井寺) でも、近江八景に出逢っていました。

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三井晩鐘 (みい の ばんしょう)

「音の三井寺」として日本三名鐘のひとつにも数えられ、今も昔も変わらぬ鐘の音を聞くことができるそうです。

05. 天下を制する城と橋

当初の予定では とうに通り過ぎているはずだった大津。
めぐり合わせにより何度か足を運ぶことになりました。
ようやく本日、次の宿場に向かいます。

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2017年3月5日 (日) AM7:30 開始
中山道歩き 第2日目

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日曜朝の静かな町並み。
道はまっすぐ続きます。

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右手奥に見えますのが滋賀県庁です。

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「義仲寺 (ぎちゅうじ)」の門は閉まっています。

開門にはまだ早く、残念ながら立ち去ろうとした ちょうどその時。
寺務所の方が窓を開け「どうぞ、お入りください」と。
ありがたく拝観させていただきます。

平安時代末期 (治承・寿永年間)
朝日将軍 木曽義仲は、平氏討伐の兵を挙げて京に入るも 源頼朝側の軍勢に追われ この地 "粟津ヶ原" で討死し葬られました。
… ということに、"義仲寺" の名は由来します。
義仲の側室 巴御前が草庵を結び、供養の日々を送っていたそうです。

後の世には、周辺の美しい景観を愛した松尾芭蕉が度々訪れ
大坂で亡くなった際には遺言により ここにお墓が建てられたとのこと。

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「翁堂」
正面には 芭蕉翁座像
天井には 絵師 伊藤若冲 筆 四季花卉 (かき) 図
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まっすぐ続いていた街道は やがて右に曲がり、和田神社に立ち寄ります。
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境内には大きな銀杏の木があり、
関ヶ原合戦に敗れた石田三成が 捕われて京へ護送される途中に つながれていたと言われています。

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推定樹齢600年
芽吹きの季節はこれからです。

さて、旧道から逸れ 左に曲がり 琵琶湖に向かって歩きます。

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膳所城 (ぜぜじょう)」

関ヶ原合戦の翌年に、徳川家康東海道を制し 琵琶湖上の船運を抑えるために築かせました。
「天下普請」により江戸幕府が諸大名に築かせたお城 第1号です。
築城計画を担当したのは、城造りの名手と言われた藤堂高虎

歴代城主は 戸田氏、本多氏、菅沼氏、石川氏、再び本多氏。
明治維新により廃城となり、城跡は公園になっています。

城門はそれぞれ近隣の神社などに移築され現存しており、現在の公園入口の門は復元されたものであるそう。

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すぐ目の前に広がる琵琶湖。
滞在時間10分で、旧道歩きに戻ります。

本日は理由あって 14時がタイムリミットです。

さて次は…
"天下を制する橋" を渡りましょう。


( 上の写真に写っているのは 琵琶湖に架かる「近江大橋」であり、これから向かう橋ではありません。)

04. 大津にて ひとやすみ

眠い目をこすりながら始発に乗り込み、
電車に揺られること9時間強。
いったい何処の国を訪れたのかと問われれば…

それは「近江国 (おうみのくに) 」

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2017/3/4 (土)

いよいよ春の「青春18きっぷ」シーズン到来。
切符を鞄に忍ばせて、ひたすら電車に揺られます。

思えば1ヵ月前の "中山道歩き 第1日目" では、新幹線 のぞみ を利用しました。
東京から京都まで2時間強という速さは、徒歩や普通列車での移動に比べれば 一瞬とも思えます。

今回、JR大津駅に到着したのは既に14時過ぎ。

… はるばるやって来ましたが、
本日 中山道歩きはお休みです。

向かった先は 近江大津京ゆかりの古刹
「長等山 園城寺 (ながらさん おんじょうじ) 」
三井寺 (みいでら)」とも呼ばれます。

現在から時を遡ること1,350年。

667年、天智天皇により都が飛鳥から近江に移され「大津京」が開かれます。

672年、天智天皇の後継を巡り「壬申の乱」が起こります。
   勝者 : 大海人皇子 (天武天皇) / 天智天皇の弟
   敗者 : 大友皇子 (弘文天皇) / 天智天皇の子

敗れた大友皇子の菩提を弔うために、その皇子である大友与多王が 田園城邑(じょうゆう)つまり 田畑屋敷を寄進してお寺を建立し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わった
… ことが、園城寺の始まりとされているそうです。

勝利した大海人皇子は 再び飛鳥に遷都し、大津京はわずか5年で廃都となりました。

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「金堂」
本尊の弥勒菩薩天智天皇が信仰されていた仏様だと伝えられています。
現在の建物は 豊臣秀吉の正室 北政所 により慶長4年 (1599年) に再建されたもの。

広い敷地内にある貴重な建物の数々を見学してまわり、琵琶湖を眺めながら都が置かれていた往時を偲びます。
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さて、まだ日が沈むまで時間がありますが…
本日の目的は もうひとつ。

1ヵ月前にいただいた「かねよ」さんの鰻。
あの美味しさを もう一度。

前回はレストランに入りましたが、今回は庭園のある本店へ。
広い空間に 離れの部屋 があり、それぞれ個室になっています。
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窓から外を眺めると、京阪電車が通過中。
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そして… 再び お目にかかります。
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今回は「きんし丼」
やはり この迫力に驚かされます。
お味は間違いありません。

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帰り際にスタンプを発見し、いそいそと押しながら 満たされた心持ちでお店を後にします。

今日は全く進まなかった中山道歩き。
明日は東に進みます。

03. 逢坂を越え近江国へ

旧道を歩きながら ふと後方を振り返ると、小さな標識が立っています。
京都市

ということは、いつの間にか 滋賀県大津市 に足を踏み入れていたようです。
なるほど、民家に停めてある車は 軒並み
「滋賀」ナンバーです。

次第に、長く続く登り坂になってきました。

逢坂山 (おうさかやま) は 大津市西部に位置する山であり、山城国近江国の国境。
古代には京の都を守るための関所「逢坂の関」が置かれていました。

ここで、百人一首の歌を思い出します。

" これやこの 行くも帰るも 別れては
   知るも知らぬも 逢坂の関 "

この歌を詠んだ 蝉丸 は平安時代前期の歌人。目が不自由ながらも琵琶の名手であり、逢坂の関付近に庵を結んでいたそうです。

蝉丸が祀られている 3つの「蝉丸神社 」
2つの神社を参拝し、3つ目は…
たしか道路沿いにあったはずですが。

3ヵ月前の記憶を呼び起こすと、どうやら違う道に進んでしまっているようです。

通るはずではなかったJR大津駅で 線路を南から北に渡り 足元を見ると、色とりどりのマンホールを発見。
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琵琶湖・大橋・花火など、情報が盛り沢山です。

音に聞く 遊覧船 " ミシガン " の姿も。
(滋賀県とアメリカ・ミシガン州姉妹都市であるそうです。)

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すぐ近くに若干デザインの異なるマンホールもあります。

道を少し間違えましたが、3ヵ月前に正しい道を歩いているので 今回はこれで良しとします。

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路面を走る京阪電車 京津線 (けいしんせん)

琵琶湖まで足を運び、しばし時を過ごします。
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さて、少々早めの夕食です。

3ヵ月前に 東海道五十三次を歩きながら とあるお店の前を通過しました。

日本一のうなぎ 逢坂山「かねよ」さん。
当時はちょうどお昼時で大勢のお客さんで賑わっていましたが、時間に余裕が無かったので立ち寄ることを断念。

本日も 先ほど歩いて通過しましたが、必ず戻ろうと心に決めていました。

そして今、京阪電車に揺られて少し引き返し、大谷駅で降車します。
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そして、ついに…
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「きんし重」
絶品の鰻と、迫力のある厚焼き卵が 心とおなかを満たします。
本日は この鰻のために歩いたと言っても過言ではありません。

(また訪れる機会があれば、今度は「きんし丼」を食べてみたい。)

急がない旅も良いものです。

中山道六十九次 全行程 538km の内、
三条大橋から大津まで 10.5km進みました。

かなり余裕をもったスタートですが、これからの中山道の旅にとって貴重な1日となりました。

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★第1日目
2017年2月4日 (土)
三条大橋→大津
   資料上の距離 : 10.5km
   歩数計 (1日) : 19.0km / 25,927歩

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翌 2月5日 (日)
中山道歩き 第2日目
となるはずでしたが…

あいにく朝から天候不良。
小雨ならばともかく、一向に止む気配のない雨が降り続いています。

中山道の旅は まだ始まったばかりです。
急ぐ必要はありません。

気持ちを切り替えて、本日は雨の京都を楽しみましょう。

電車に乗り、前日 数時間かけて歩いた道を
そっくりそのまま引き返します。
(京阪電車 京津線京都市営地下鉄 東西線 に乗り入れ)

   浜大津
   上栄町
   大谷
   追分
   四宮
   京阪山科
   御陵
   蹴上
   東山
   三条京阪
   京都市役所前
   烏丸御池

電車で30分足らずです。
線路と道路が 見事に一致しています。

スタート地点に戻ってきてしまいました。

しかし、次回の中山道歩きは もちろん大津から再開します。

02. 東海道を振り返りながら

さて、まずは戦支度です。

京都駅で地下鉄に乗り換え、
烏丸御池 (からすまおいけ) 駅で降車します。

珈琲店「イノダコーヒ」さん本店は
三条通から少し南に入ったところにあり、
外観・内装 共にクラシカルな趣です。

ボリュームたっぷり「京の朝食」をいただき、歩く準備は万全です。

身体に染み込む寒さの中 三条通を東に歩いて行くと、ほどなくして「三条大橋」が見えてきます。

橋のたもとで、弥次さん喜多さん像に 再びお目にかかります。
東海道中膝栗毛」で江戸から お伊勢参り に出かけ、京・大坂まで旅をした2人。
「続膝栗毛」では 金毘羅・宮島まで足を延ばした後、中山道を通り江戸に帰ります。

私もこれから、歩いて江戸に戻ります。
この先、どのような出来事が待ち受けているのでしょうか。

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AM9:30
鴨川に架かる三条大橋を渡り、京の都に別れを告げます。

中山道三条大橋から大津を経て草津 (滋賀県) まで、東海道と同じ道を辿ります。

3ヵ月前、夕日に照らされる京のまちなみを見ながら
たくさんの旅の思い出を胸に 西へ向かった三条通

本日は すっかり朝日が昇り 研ぎ澄まされた青空の下、東に向かって歩きます。

平安神宮の大きな朱色の鳥居を左手に見送り、長く続く上り勾配の道を進んで行きます。

蹴上 (けあげ) 駅付近にて、街道から少し左に逸れてみます。

琵琶湖の水を京都に引くための水路
琵琶湖疏水 (びわこそすい)」は、
数々の困難を乗り越えて 明治23年に完成しました。

琵琶湖の水は 水力・灌漑・防火などに利用されると同時に、
疏水により旅客や貨物が船で運搬されていました。

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インクライン (傾斜鉄道) 」跡地です。
琵琶湖疏水を利用した水運は 蹴上での高低差が大きいため、船ごとインクラインの台車に載せて 急斜面を昇降させていました。
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近くにある 南禅寺 (なんぜんじ) 三門をくぐります。

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琵琶湖疏水の水路橋「水路閣」です。

お寺の境内にありながらも、レンガ造り・アーチ構造の重厚なデザインが 静かな景観に溶け込んでいます。
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京都の町を彼方に眺め、そろそろ街道に戻りましょう。
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三条通をしばらく歩き、途中で小道に分け入ります。
いかにも昔の街道で 道幅は非常に狭いのですが、地元の方々の車が わりと頻繁に往来します。

御陵 (みささぎ) 駅を過ぎたあたりで、再び三条通と合流します。

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三条通から左に入り、

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真っ直ぐに続く道を進んで行くと、

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天智天皇陵」
天智天皇 ("大化の改新" を行った 中大兄皇子) の陵墓です。

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ここでも琵琶湖疏水を見つけました。

3ヵ月前は 日が沈むまでに…と旅路を急いでおり、天智天皇陵や南禅寺水路閣インクラインに立ち寄ることはできませんでした。

中山道旅立ちの今、寄り道したり 美味しいものを食べたりしながら 先を急がず楽しむことに。

以前通った道なので、少々なつかしい気持ちに浸りながら 心に余裕も生まれます。

山科 (やましな) 駅を過ぎ、四宮 (しのみや) 駅近く
和食「あづまや」さんで お蕎麦をいただいたのは13時頃。

本日の目的地 大津まで、時間的にも相当な余裕をもって向かいます。

01. 旅立ちのとき - 東海道から中山道へ

2015年秋〜2016年秋にかけて
東京 日本橋から 京都 三条大橋まで
東海道五十三次を踏破しました。

(東海道ブログは こちら)
   ↓

tokaido-aruki.hatenablog.jp

 「千年の都」に足を踏み入れたのは3ヵ月前、
2016年11月6日のことです。

そろそろ江戸に戻らねばなりません。

暦は「立春
今こそ旅立ちの時です。

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2017年2月4日 (土)
中山道歩き 第1日目

暦の上では春ですが、
まだまだ寒さ厳しき折。

夜明け前 暗闇に包まれた町の静寂を乱さぬよう
ひっそりと自宅を後にします。

品川駅にて 新幹線に乗り込みます。

東海道新幹線で 1日のうち最初に発車するのは
東京駅 AM6:00始発 のぞみ1号
だと思っていましたが。

それよりも早い便があるらしく
品川駅 AM6:00始発 のぞみ99号
を利用します。

" 東海道五十三次歩き " の際には
JR青春18きっぷ を大いに活用し
移動手段は専ら「普通列車」でした。
徹底的に避けていた「のぞみ」ですが、
今回に限り あっさりと利用させていただきます。

朝日が昇り "駿河湾" を照らしています。

瞬時に過ぎゆく景色を眺めながら
東海道歩きの出来事を 様々に思い起こします。

大井川と天竜川、そして浜名湖
なんて広いのだろう! と思いながら
徒歩で渡った あの時。
今は一瞬で通過します。

目に映り込む風景の 移りゆくのが速すぎて
回想が追いつきません。

これまでの旅の記憶と
これからの旅への期待。

そして、のぞみ99号は「博多行き」だという緊張感。

数々の思いが交錯し、一睡もできません。

24日間かけて歩いた東海道五十三次
2時間強で移動できる新幹線は まもなく京都駅に到着します。

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中山道 今後の旅のお供です。