中山道六十九次も歩きます。

東海道五十三次を踏破した後。2017年 立春に京を旅立ち、江戸に向けて歩きます。今回の旅路は中山道。

09. 「坊や」の正体

雨がしとしと降り続いています。
けれども今日は「歩く」と心に決めています。

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2017年4月9日 (日) AM7:00過ぎ
中山道歩き 第3日目は、
滋賀県 草津駅からスタートです。

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道行く人影は ほとんどありません。

どんよりとした空を押しのけて、私の心の中は 未知なる道への期待で満ち溢れています。

冷たい雨に傘で抵抗する姿勢をみせな がら、東へと舵をとります。

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「黒目がちの坊や」も中山道歩きを応援してくれています。

静かな住宅地を歩き、
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東海道本線の列車が通過する下を
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くぐりました。

さて、草津市を過ぎ 栗東 (りっとう) 市に入ります。

そこかしこで見かけるのは「坊や」の姿。

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少々やんちゃな坊やもいるようです。

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Oh, ボウヤ…

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本日はあいにくの空模様ですが、いたるところで すっかり花開いた桜の木々が出迎えてくれます。

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「大宝 (だいほう) 神社」
大宝年間 (701-704年) の創建と伝わる神社です。
参道の桜並木は風情があります。

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隣接する大宝公園の桜も見事です。

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雨にぬれ 落つる椿も 乙なもの

ささやかにお花見を楽しみながら、朗らかな心持ちで歩き続けます。

… と、ここには
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虎模様のユニフォームを着た野球坊やの姿が。

そして、栗東市を過ぎ 守山 (もりやま) 市に入ります。

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坊やのお友達でしょうか?

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坊や本人は 一里塚の榎を見上げています。

"今宿 (いまじゅく) 一里塚" は、江戸 日本橋から128番目の一里塚です。

この先まだまだ500km以上の道のりが控えています。

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吉川に架かる土橋 (どばし) を渡ります。

ここは 守山宿 です。

間もなく、重厚な空気の漂うお寺の前を通りかかります。

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比叡山 東門院 守山寺」
(ひえいざん とうもんいん もりやまでら)

天台宗の寺院です。
延暦年間に最澄比叡山の東門として建立し、後に桓武天皇より "比叡山を守る寺" として名を賜ったとのこと。
"守山" という地名の由来でもあるそうです。

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門をくぐると、境内の桜が静かに呼びかけてきます。
紅葉の名所であるそうなので、秋には また異なる風景を楽しむことができるのでしょうか。

… さて、歩き始めてから1時間半が経ちます。

止むことを知らない雨により 身体はすっかり冷え、ズボンの裾と鞄は充分に水を吸い込み しっかり重くなっています。

そろそろ ひと息つきたい頃。
時刻はようやく9時をまわるところです。

昔ながらの街道の面影を感じながら、守山の町を歩いて行きます。

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街道の右側に、気になる建物があります。

町家「うの家」(うのけ)

江戸時代末期から明治初期に建てられた造り酒屋で、元内閣総理大臣 宇野宗佑氏の生家であるとのこと。

現在は主屋や蔵などを改修し、守山宿の交流拠点として利用されているそうです。

守山にちなんだ品々が販売されているスペースを眺めていると…

!!

滋賀県に足を踏み入れてからというもの、道路の各所で頻繁に見かけた「坊や」のイラストが描かれた様々な商品が並んでいるではありませんか!

ついにここで「坊や」の名前が判明します。
その名は…

「とび太くん」

ドライバーに子どもの飛び出し注意を促す交通安全の看板。
とび太くんの生まれ故郷は滋賀県であるそうです。

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このグッズを見逃してはなりません。
とび太くんミニノート2冊と、特産品「守山メロン」のエキスが練り込まれた飴、近江路中山道のマップを購入します。

うの家を運営されている方たちと言葉を交わし、とび太くんとの思いがけない出会いにより、雨で塞ぎかけていた心は解放されます。

そして先程から、かなりの空腹を覚えています。

今日この先、どのタイミングで食料にありつけるか定かではありません。
守山宿にいる間に、是非ともおなかを満たしたいところです。

和カフェ「忍ぶ庵」さんは、うの家 敷地の一角にあります。
蔵を利用したお店なのだそう。

早い時間なのでまだ準備中かもしれない、という消極的な気持ちに
どうしても今ここで一休みして鋭気を養いたい、という気持ちが勝り
おずおずと入り口扉を開けてみます。

「お飲み物と軽食であれば ご用意できますよ。」と、お姉さん。
良かった… 。早速注文します。

穏やかな時が流れる空間で、温かいコーヒーとトーストが五臓六腑に沁みわたります。

メニュー表を見ると、茶そば や 地元産の野菜が使われたお料理・スイーツなど、いずれも美味しそうなものばかり。
お昼時に また訪れたいものです。

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時刻は10時30分。
雨は上がりました。

お姉さんの優しい笑顔に見送られながら
すっかり晴れやかになった心で守山宿を後にします。

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08. 今日は草津の日。

天気予報に偽りなく、朝から傘が手放せません。

すっかりお馴染みとなった始発に乗り込み、
懲りずに9時間の電車旅です。

車窓から眺める野山や土手の風景が、
悪天候で憂鬱な気持ちを補って余りあります。

芽吹き始めた草木の緑
丹念に耕され 新たな種が蒔かれる畑
時おり見かける菜の花
そして 全ての景色に心ほころぶ華やぎを与える満開の桜

灰色の空が、里の春の訪れを 静かに喜んでいるようです。

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2017年4月8日 (土)
滋賀県草津駅に着いた頃、時刻は14時を過ぎていました。

草津を訪れるのは3度目です。

1度目は5ヵ月前、
"東海道" 歩き最終日。
京都 三条大橋を目指し、足早に通り過ぎました。

2度目は1ヵ月前、
"中山道" 歩き2日目。
東海道中山道の追分で感慨にふける間もなく、駅へと急ぎ 帰りの電車に飛び乗りました。

3度目の今、
このまま何事も無かったかのように草津を離れるのは心残りです。

今日はあいにくの空模様。
中山道を先に進まず、草津で過ごすことに決めました。

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かつて、草津宿には本陣が2軒ありました。
一方の "田中七左衛門本陣 (木屋本陣)" は、ほぼ完全な姿をとどめており 公開されています。

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表門には「近衛殿御休」と記されている "関札 (せきふだ)" が掲げられています。
今が江戸時代であると空想して…
本日は公家の五摂家のひとつ 近衛家 の方が ご滞在でしょうか。

本陣の利用は、勅使・宮・門跡・公家・大名・旗本 に限られていたそうです。

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玄関広間から長い畳廊下を通り、いちばん奥の "上段の間" と庭園を見学します。

上段の間 は、本陣の中で最も格式の高い部屋。

浅野内匠頭長矩
吉良上野介義央
皇女和宮 (静寛院宮)
会津藩松平容保
徳川慶喜
新選組 土方歳三

歴史上重要な方々が、この本陣で休泊なさっています。

当時は、一般庶民が本陣 ましてや上段の間に足を踏み入れるなど 考えられないことです。

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湯殿

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台所

街道を挟んで反対側には、もうひとつの本陣 "田中九蔵本陣" があったようですが 建物は残っていません。

草津宿の本陣は両方とも田中姓であったため、休泊者による本陣間違いのトラブルもあったようです。

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続いて 街道交流館 に足を運び、草津宿について学びます。

「浮世絵摺り体験コーナー」では、4色摺りに挑戦。

題材は、覚えたて "近江八景" のひとつ
"矢橋帰帆 (やばせ の きはん)"
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各色が少々ずれましたが、雰囲気は出ているので良しとします。

そして、
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「マンホールカード」をいただきました。

街道交流館を後にして、資料 (マップ) を手がかりに実物のマンホールを探していると、
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ありました!

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草津宿を去る前に…
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草津川に咲き渡る桜を観賞します。

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かつての「草津川」は 、川底が周辺の平面地よりも高い "天井川" でした。
度重なる災害を引き起こしていたので 治水事業により廃川となり、跡地が公園として整備されたとのこと。

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草津川から見下ろす草津宿


明日は中山道を先に進みます。
天気予報は… 朝から雨。

07. 追分 - 東海道と中山道の分岐点へ

さて、瀬田の唐橋からほど近く
" 建部大社 (たけべたいしゃ) " を参拝します。
日本武尊を祀る 近江国一之宮です。

一宮 (一之宮・一ノ宮) と言うからには この地で重要な場所、是非ご挨拶しておきたいものです。
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ふと、東海道歩きの際に訪れた静岡の三嶋大社 (伊豆国一宮) のことも思い起こされます。

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厳かな気持ちになったところで、再び街道歩きを続けます。

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あっ! このパネルは… !!

東海道五十三次を東から西に歩いた際、滋賀県に足を踏み入れた頃から
顔つきが特徴的な "黒目がちの坊や" の姿を 道路の片隅で頻繁に見かけるようになりました。
"子どもの飛び出し注意" を促す看板のようです。

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何気なく渡った水路の両側には桜の木が並んでいます。

来る年も来る年も 地元の方々に春を告げ、子どもたちの通学路となる。
そのような光景を思い浮かべてみます。

桜の名所と謳われ大勢の人々が集う賑やかな場所も良いですが、人々の生活と共にある桜並木にも心惹かれるものです。

さて、そろそろ時間が差し迫ってきました。
只今の時刻は13時。
次の宿場町草津まで あと30分ほどでしょうか。

草津宿は旧道の雰囲気を残しており、できれば趣ある佇まいのお店で休憩したい。

しかし 近江牛を見送り 朝からパンとお菓子でどうにかつないできた体力は既に限界、もう今すぐ休みたい。

やむなく全国展開しているお店に立ち寄り、胃袋と足腰を生き返らせます。

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ほどなくして草津宿に到達し、重要な地点に差しかかります。
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ここは東海道中山道の分岐点。
「追分 (おいわけ)」とも言われ、旅人にとって目安となる場所でした。

立春の日に京都 三条大橋を発ってから この追分まで、「東海道歩き」の際に通ったのと同じ道を逆方向に進んできました。
当時、日が沈む前になんとかゴールの三条大橋に辿り着かなければ… という思いで
ひたすら西を目指した記憶がよみがえります。

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4ヵ月前、右側の「東海道」から歩いてきました。

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マンホールも追分仕様です。

さあ、ここからが本当の「中山道六十九次歩き」の始まりです。

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これから左側の「中山道」に進み、お江戸 日本橋を目指します。

… と、感動的名場面にひたる間もなく
さっさとトンネルをくぐり、この先の商店街を突き進みます。

時刻は14時をまわっています。
草津駅から電車が発車するのは14時20分。

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なんとか草津駅に到着。

これから電車で9時間強の帰途につきます。

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各駅停車の列車を何本乗り継いだことでしょうか。
乗り換える度に 眠りの底へと落ちます。

今回の旅は1泊2日
電車移動は片道9時間強
歩いたのは6時間
進んだのは15km

最大の利点は交通費を安く抑えられたということですが、効率はかなり悪く 肝心の街道歩き以外に体力を大幅に消耗しました。

今後の移動手段について検討しながら、列車に揺られ続けます。

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★第2日目
2017年3月5日 (日)
大津→草津
   資料上の距離 : 15.1km
   歩数計 (1日) : 19.0km / 33,985歩

06. 訪れたのは近江何景?

近江八景
比良暮雪     ひら の ぼせつ
堅田落雁     かたた の らくがん
唐崎夜雨     からさき の やう
三井晩鐘     みい の ばんしょう
矢橋帰帆     やばせ の きはん
粟津晴嵐     あわづ の せいらん
瀬田夕照     せた の せきしょう
石山秋月     いしやま の しゅうげつ

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時刻は午前9時40分。
琵琶湖畔の膳所城を後にして、再び街道を歩きます。

城下町特有の何度も直角に曲がる道は、視界を遮り敵の侵入を防ぐという防衛上の目的があったようです。
鉤の手 鍵の手 (かぎのて)・桝形 升形 (ますがた) などと呼ばれます。

しばらく進むと、学校や企業の建物の間を抜けながら 道は大きく曲がります。
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後に分かったことですが、どうやらこのあたりは近江八景の1つ「粟津晴嵐」であるとのこと。
木曽義仲が討死した "粟津ヶ原" であり、以前は松並木が続いていたそう。
歩いているときは特に意識することなく、いつの間にか近江八景を通り過ぎていたようです。
地図を見ると 付近には「粟津」と名の付く駅や学校があり、一帯の地名は「晴嵐」と記されています。

さて、京阪電車 石山駅前を通りかかり…
とても美味しそうな洋菓子屋さんの横を黙って素通りできるはずもなく、お店の中に吸い込まれ お菓子を少し購入します。

さらに進むと、「近江牛」の看板を掲げたお店が目に留まります。
興味があります。
しかし "準備中" なので やむなく店先を通り過ぎます。

(もし "営業中" であったなら、本日の中山道歩きはここで中断され 優雅なランチタイムを過ごしていたことでしょう。)

さあ、いよいよ近づいてまいりました。
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瀬田の唐橋 (せたのからはし)」
   ( 勢多の唐橋・瀬田の長橋 )

近江八景「瀬田夕照」で名高く、
「唐橋を制する者は天下を制す」
と言われた交通の要衝です。

かつて瀬田川に架かる唯一の橋であった唐橋は、古来 幾度となく戦乱の舞台となりました。

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「もののふの矢橋の船は速けれど
    急がば回れ瀬田の長橋」

( 武士のやばせの舟は速くとも
    急がば回れ瀬田の唐橋 )

これは、宗長 (室町時代連歌師) により詠まれた歌です。

当時 草津から琵琶湖の対岸 大津に向かうには、草津の矢橋 (やばせ) から船で渡ると距離が短く近道でしたが、比叡山から吹き下ろす突風により危険を伴いました。
そこで、瀬田の唐橋を通る道は 遠回りではあるけれど安全で確実とされました。

この歌は「急がば回れ」ということわざの由来となっているそう。

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先ほど仕入れたお菓子をいただき ひとやすみ。

瀬田の "夕照"
きっと夕日が素晴らしいのでしょうが、本日は先を急がねばなりません。

(つづく)

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ところで、前日 (2017年3月4日) 訪れた園城寺 (三井寺) でも、近江八景に出逢っていました。

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三井晩鐘 (みい の ばんしょう)

「音の三井寺」として日本三名鐘のひとつにも数えられ、今も昔も変わらぬ鐘の音を聞くことができるそうです。

05. 天下を制する城と橋

当初の予定では とうに通り過ぎているはずだった大津。
めぐり合わせにより何度か足を運ぶことになりました。
ようやく本日、次の宿場に向かいます。

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2017年3月5日 (日) AM7:30 開始
中山道歩き 第2日目

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日曜朝の静かな町並み。
道はまっすぐ続きます。

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右手奥に見えますのが滋賀県庁です。

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「義仲寺 (ぎちゅうじ)」の門は閉まっています。

開門にはまだ早く、残念ながら立ち去ろうとした ちょうどその時。
寺務所の方が窓を開け「どうぞ、お入りください」と。
ありがたく拝観させていただきます。

平安時代末期 (治承・寿永年間)
朝日将軍 木曽義仲は、平氏討伐の兵を挙げて京に入るも 源頼朝側の軍勢に追われ この地 "粟津ヶ原" で討死し葬られました。
… ということに、"義仲寺" の名は由来します。
義仲の側室 巴御前が草庵を結び、供養の日々を送っていたそうです。

後の世には、周辺の美しい景観を愛した松尾芭蕉が度々訪れ
大坂で亡くなった際には遺言により ここにお墓が建てられたとのこと。

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「翁堂」
正面には 芭蕉翁座像
天井には 絵師 伊藤若冲 筆 四季花卉 (かき) 図
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まっすぐ続いていた街道は やがて右に曲がり、和田神社に立ち寄ります。
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境内には大きな銀杏の木があり、
関ヶ原合戦に敗れた石田三成が 捕われて京へ護送される途中に つながれていたと言われています。

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推定樹齢600年
芽吹きの季節はこれからです。

さて、旧道から逸れ 左に曲がり 琵琶湖に向かって歩きます。

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膳所城 (ぜぜじょう)」

関ヶ原合戦の翌年に、徳川家康東海道を制し 琵琶湖上の船運を抑えるために築かせました。
「天下普請」により江戸幕府が諸大名に築かせたお城 第1号です。
築城計画を担当したのは、城造りの名手と言われた藤堂高虎

歴代城主は 戸田氏、本多氏、菅沼氏、石川氏、再び本多氏。
明治維新により廃城となり、城跡は公園になっています。

城門はそれぞれ近隣の神社などに移築され現存しており、現在の公園入口の門は復元されたものであるそう。

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すぐ目の前に広がる琵琶湖。
滞在時間10分で、旧道歩きに戻ります。

本日は理由あって 14時がタイムリミットです。

さて次は…
"天下を制する橋" を渡りましょう。


( 上の写真に写っているのは 琵琶湖に架かる「近江大橋」であり、これから向かう橋ではありません。)

04. 大津にて ひとやすみ

眠い目をこすりながら始発に乗り込み、
電車に揺られること9時間強。
いったい何処の国を訪れたのかと問われれば…

それは「近江国 (おうみのくに) 」

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2017/3/4 (土)

いよいよ春の「青春18きっぷ」シーズン到来。
切符を鞄に忍ばせて、ひたすら電車に揺られます。

思えば1ヵ月前の "中山道歩き 第1日目" では、新幹線 のぞみ を利用しました。
東京から京都まで2時間強という速さは、徒歩や普通列車での移動に比べれば 一瞬とも思えます。

今回、JR大津駅に到着したのは既に14時過ぎ。

… はるばるやって来ましたが、
本日 中山道歩きはお休みです。

向かった先は 近江大津京ゆかりの古刹
「長等山 園城寺 (ながらさん おんじょうじ) 」
三井寺 (みいでら)」とも呼ばれます。

現在から時を遡ること1,350年。

667年、天智天皇により都が飛鳥から近江に移され「大津京」が開かれます。

672年、天智天皇の後継を巡り「壬申の乱」が起こります。
   勝者 : 大海人皇子 (天武天皇) / 天智天皇の弟
   敗者 : 大友皇子 (弘文天皇) / 天智天皇の子

敗れた大友皇子の菩提を弔うために、その皇子である大友与多王が 田園城邑(じょうゆう)つまり 田畑屋敷を寄進してお寺を建立し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わった
… ことが、園城寺の始まりとされているそうです。

勝利した大海人皇子は 再び飛鳥に遷都し、大津京はわずか5年で廃都となりました。

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「金堂」
本尊の弥勒菩薩天智天皇が信仰されていた仏様だと伝えられています。
現在の建物は 豊臣秀吉の正室 北政所 により慶長4年 (1599年) に再建されたもの。

広い敷地内にある貴重な建物の数々を見学してまわり、琵琶湖を眺めながら都が置かれていた往時を偲びます。
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さて、まだ日が沈むまで時間がありますが…
本日の目的は もうひとつ。

1ヵ月前にいただいた「かねよ」さんの鰻。
あの美味しさを もう一度。

前回はレストランに入りましたが、今回は庭園のある本店へ。
広い空間に 離れの部屋 があり、それぞれ個室になっています。
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窓から外を眺めると、京阪電車が通過中。
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そして… 再び お目にかかります。
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今回は「きんし丼」
やはり この迫力に驚かされます。
お味は間違いありません。

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帰り際にスタンプを発見し、いそいそと押しながら 満たされた心持ちでお店を後にします。

今日は全く進まなかった中山道歩き。
明日は東に進みます。

03. 逢坂を越え近江国へ

旧道を歩きながら ふと後方を振り返ると、小さな標識が立っています。
京都市

ということは、いつの間にか 滋賀県大津市 に足を踏み入れていたようです。
なるほど、民家に停めてある車は 軒並み
「滋賀」ナンバーです。

次第に、長く続く登り坂になってきました。

逢坂山 (おうさかやま) は 大津市西部に位置する山であり、山城国近江国の国境。
古代には京の都を守るための関所「逢坂の関」が置かれていました。

ここで、百人一首の歌を思い出します。

" これやこの 行くも帰るも 別れては
   知るも知らぬも 逢坂の関 "

この歌を詠んだ 蝉丸 は平安時代前期の歌人。目が不自由ながらも琵琶の名手であり、逢坂の関付近に庵を結んでいたそうです。

蝉丸が祀られている 3つの「蝉丸神社 」
2つの神社を参拝し、3つ目は…
たしか道路沿いにあったはずですが。

3ヵ月前の記憶を呼び起こすと、どうやら違う道に進んでしまっているようです。

通るはずではなかったJR大津駅で 線路を南から北に渡り 足元を見ると、色とりどりのマンホールを発見。
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琵琶湖・大橋・花火など、情報が盛り沢山です。

音に聞く 遊覧船 " ミシガン " の姿も。
(滋賀県とアメリカ・ミシガン州姉妹都市であるそうです。)

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すぐ近くに若干デザインの異なるマンホールもあります。

道を少し間違えましたが、3ヵ月前に正しい道を歩いているので 今回はこれで良しとします。

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路面を走る京阪電車 京津線 (けいしんせん)

琵琶湖まで足を運び、しばし時を過ごします。
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さて、少々早めの夕食です。

3ヵ月前に 東海道五十三次を歩きながら とあるお店の前を通過しました。

日本一のうなぎ 逢坂山「かねよ」さん。
当時はちょうどお昼時で大勢のお客さんで賑わっていましたが、時間に余裕が無かったので立ち寄ることを断念。

本日も 先ほど歩いて通過しましたが、必ず戻ろうと心に決めていました。

そして今、京阪電車に揺られて少し引き返し、大谷駅で降車します。
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そして、ついに…
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「きんし重」
絶品の鰻と、迫力のある厚焼き卵が 心とおなかを満たします。
本日は この鰻のために歩いたと言っても過言ではありません。

(また訪れる機会があれば、今度は「きんし丼」を食べてみたい。)

急がない旅も良いものです。

中山道六十九次 全行程 538km の内、
三条大橋から大津まで 10.5km進みました。

かなり余裕をもったスタートですが、これからの中山道の旅にとって貴重な1日となりました。

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★第1日目
2017年2月4日 (土)
三条大橋→大津
   資料上の距離 : 10.5km
   歩数計 (1日) : 19.0km / 25,927歩

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翌 2月5日 (日)
中山道歩き 第2日目
となるはずでしたが…

あいにく朝から天候不良。
小雨ならばともかく、一向に止む気配のない雨が降り続いています。

中山道の旅は まだ始まったばかりです。
急ぐ必要はありません。

気持ちを切り替えて、本日は雨の京都を楽しみましょう。

電車に乗り、前日 数時間かけて歩いた道を
そっくりそのまま引き返します。
(京阪電車 京津線京都市営地下鉄 東西線 に乗り入れ)

   浜大津
   上栄町
   大谷
   追分
   四宮
   京阪山科
   御陵
   蹴上
   東山
   三条京阪
   京都市役所前
   烏丸御池

電車で30分足らずです。
線路と道路が 見事に一致しています。

スタート地点に戻ってきてしまいました。

しかし、次回の中山道歩きは もちろん大津から再開します。