中山道六十九次も歩きます。

東海道五十三次を踏破した後。2017年 立春に京を旅立ち、江戸に向けて歩きます。今回の旅路は中山道。

05. 天下を制する城と橋

当初の予定では とうに通り過ぎているはずだった大津。
めぐり合わせにより何度か足を運ぶことになりました。
ようやく本日、次の宿場に向かいます。

----------
2017年3月5日 (日) AM7:30 開始
中山道歩き 第2日目

f:id:ofuku53:20170402002622j:image
日曜朝の静かな町並み。
道はまっすぐ続きます。

f:id:ofuku53:20170402002659j:image
右手奥に見えますのが滋賀県庁です。

f:id:ofuku53:20170402002821j:image
「義仲寺 (ぎちゅうじ)」の門は閉まっています。

開門にはまだ早く、残念ながら立ち去ろうとした ちょうどその時。
寺務所の方が窓を開け「どうぞ、お入りください」と。
ありがたく拝観させていただきます。

平安時代末期 (治承・寿永年間)
朝日将軍 木曽義仲は、平氏討伐の兵を挙げて京に入るも 源頼朝側の軍勢に追われ この地 "粟津ヶ原" で討死し葬られました。
… ということに、"義仲寺" の名は由来します。
義仲の側室 巴御前が草庵を結び、供養の日々を送っていたそうです。

後の世には、周辺の美しい景観を愛した松尾芭蕉が度々訪れ
大坂で亡くなった際には遺言により ここにお墓が建てられたとのこと。

f:id:ofuku53:20170402002923j:image
「翁堂」
正面には 芭蕉翁座像
天井には 絵師 伊藤若冲 筆 四季花卉 (かき) 図
f:id:ofuku53:20170402003011j:image

---
まっすぐ続いていた街道は やがて右に曲がり、和田神社に立ち寄ります。
f:id:ofuku53:20170402003205j:image
境内には大きな銀杏の木があり、
関ヶ原合戦に敗れた石田三成が 捕われて京へ護送される途中に つながれていたと言われています。

f:id:ofuku53:20170402003250j:image
推定樹齢600年
芽吹きの季節はこれからです。

さて、旧道から逸れ 左に曲がり 琵琶湖に向かって歩きます。

f:id:ofuku53:20170402003555j:image

膳所城 (ぜぜじょう)」

関ヶ原合戦の翌年に、徳川家康東海道を制し 琵琶湖上の船運を抑えるために築かせました。
「天下普請」により江戸幕府が諸大名に築かせたお城 第1号です。
築城計画を担当したのは、城造りの名手と言われた藤堂高虎

歴代城主は 戸田氏、本多氏、菅沼氏、石川氏、再び本多氏。
明治維新により廃城となり、城跡は公園になっています。

城門はそれぞれ近隣の神社などに移築され現存しており、現在の公園入口の門は復元されたものであるそう。

f:id:ofuku53:20170402003339j:image
すぐ目の前に広がる琵琶湖。
滞在時間10分で、旧道歩きに戻ります。

本日は理由あって 14時がタイムリミットです。

さて次は…
"天下を制する橋" を渡りましょう。


( 上の写真に写っているのは 琵琶湖に架かる「近江大橋」であり、これから向かう橋ではありません。)